夫のDV、多額の借金…生き地獄のような数十年を乗り越え、掴んだ幸せ【幸福の科学 信者体験記】

(最終更新:

葛藤だらけの夫婦、それでも一緒に歩むことができた

夫の暴力と多額の借金。苦しみの夫婦関係にあった方が、幸福の科学に出会い、教えを実践し始めると、夫との関係が激変していきました。信仰の力で奇跡的に人生が変わった体験とともに、人生のヒントをお届けします。

(T.Tさん/福島県/女性/「ザ・伝道」第190号より転載・編集)

夫の暴力と借金づくしの数十年 夫の暴力と借金づくしの数十年

憧れの先輩

私が、後に伴侶となるAさんと出会ったのは高校生のときでした。入部した合唱部の部長をしていたAさんは、声量豊かな美しいバスの持ち主で、高校生ながら、テレビ局の合唱団にも所属している、憧れの先輩。お付き合いが始まってからは、部活が終わると、彼は必ず、私を家まで送ってくれ、親も公認の仲でした。高校を卒業すると、水道局に就職し、アマチュアの合唱団に所属したAさん。やがて私も社会人になると、両家の間では結婚の話が進み、彼が23歳、私が21歳のときに、結納が行われました。けれども私は、誰にも言えない不安を抱えていたのです。

手を上げる彼

彼のもう一つの顔――。最初は他愛もない会話中でした。「来週、友達と映画に行くの」と話したら、彼は急に不機嫌になり、「行くことねえよ」と頭ごなしに否定したのです。私はムッとして、「なんでダメなの?」と言い返したその瞬間、頬に痛みが。いきなり彼に殴られ、声も出ませんでした。お付き合いを続けるうち、彼は私に手を上げるようになったのです。
彼に束縛されることにも、抵抗を感じていました。合唱団でも、私が他の男性と話をするだけで不機嫌になります。もっと困ることは、私の職場で毎月開かれる親睦会の席に、彼が乗り込んできて、私を強引に連れて帰ることです。男性の隣に座っていたら大変です。「お母さん、私、Aさんと結婚したくない……」。思い余って母に打ち明けました。でも、「裕福な農家の次男と結婚できるのだから」と、取り合ってくれません。

働かない夫

結婚して2年後。最初の子供を妊娠し、退職を間近に控えていたある日。夫の職場に電話すると、驚くべき事実が明らかになりました。
「Aさんは数カ月前に辞めましたよ。奥さん、知らないの?」
急いでアパートに戻ると、カーテンを閉めた暗い部屋で、夫がテレビを見ていました。
「毎日お弁当持って、どうしてたのよ」
問い詰めても無駄でした。その後も仕事の話をすればケンカになり、殴られるだけ。きっと子供が生まれたら働いてくれるはず――そんな期待はあっさり裏切られ、3年おきに3人の子供が生まれても、夫は定職に就きません。私は子供を預けてパートをかけ持ちするしかありませんでした。

借金

夫の裏切りは、それだけではありませんでした。サラ金です。お金の使い道を問いただしても、夫は口をつぐんだまま。200万の借金を夫の実家に肩代りしてもらった後で、さらに400万の借金が発覚。今度は私の両親が、苦労して工面してくれました。けれども数年後、さらに800万の借金……。昼夜を問わず、暴力団まがいの男たちが怒鳴り込んでくるも、夫は裏口から逃げ出し、対応するのはいつも私。脅迫の電話も鳴りやまず、電話機に座布団を重ねて子供たちを寝かしつけました。後で分かったことですが、裕福な家庭で苦労を知らずに育った夫は、コツコツと働くことができず、小豆相場に手を出して散財したり、貧乏生活が嫌で、高価な服や食べ物にお金をつぎ込んでいたのです。

私が死ねば……

子供が中学生になったころ、夫の、4回目の借金が発覚しました。金額は、1200万円。私はとうとう自律神経を病み、精神科にかかりました。「あの人が変わるには、私が死ぬしかないだろう」。そんな考えが頭を離れず、溜めていた薬を一気に飲み、雪の積もる山に入って行きました。遠ざかる意識のなかで、子供たちの顔が浮かびます。
気づいたときは、自宅の布団に寝かされていました。結局、死に切れなかった私は、家族の生活と借金返済のために、五つの仕事をかけ持ち、早朝から夜遅くまで夢中で働きました。気付けば二十年以上、借金と、仕事と、時間に追われる日々。下の子が高校生のころには、サラ金からの借金は、14ヵ所、2000万以上に膨らんでいました。

生き地獄

やがて子供たちが独立し、夫婦だけになると、夫の暴力はますますひどくなりました。夫は毎晩、晩酌をするのですが、虫の居所が悪いと、ぐいぐいとお酒を飲んで、私を布団から引きずり出し、殴る蹴る……。雪のなかを裸足で逃げたこともあります。ズックを履いて、車の鍵を握りしめて寝ました。
来る日も来る日も、夫への恐怖と憎しみで、まさに生き地獄。あのとき破談にしていたら、こんな人生じゃなかったと、何度後悔したことでしょう。仕事の合間に、古本屋の百円棚で心理学や哲学の本を買って読み、それを再び数十円で売って、次の本を買い求めました。

転機

転機はふいに、ひとすじの光のように訪れたのです。ある日、パート先の病院で片付けをしていた私は、数冊の宗教書を見つけました。
「うわぁ。私、こういう本好きなんです」
院長の奥さんに言うと、「どうぞ読んで。すごくいい本よ」と、私に譲ってくれました。その宗教書は、 大川隆法総裁 「法シリーズ」 でした。その晩、布団に入って読み始めると、止まらなくなりました。
(今までの本とは違う。私に必要なことが書いてある)
私は寝る間も惜しんで、夢中になって読みふけりました。どの本も、人生の答えに満ちていました。一度では理解しきれなくて、同じ本を、何度も何度も、読み返しました。
(「心の三毒※」か。私の心にもあるね。でも、反省が必要なのはAさんだ。私は悪くないよ)
本の内容に感動しながらも、私は心のなかで、夫を責め続けていたのです。

※心の三毒:不幸の元になる煩悩の代表的なもの。貪は貪りの心、瞋は怒りの心、癡は愚かな心

溜めていた思い

「あの本、すごく感動しました」
院長の奥さんにそう伝えると、幸福の科学の集いに誘ってくれました。初めての集いで、私は、夫の暴力と借金づくしの数十年を打ち明けました。堰を切ったように、溜めていた思いが溢れ、涙が止まりませんでした。
「Tさん、本当に大変な苦労をしてきたなぁ」
「だけど、どんなに苦しい人生でも、幸福の科学の教えで、必ず幸福になれるよ」
「三帰誓願※して一緒に学んでいきましょうよ」
私は、皆さんの勧めに従おうと思いました。
(この宗教なら、本当に幸せになれるかもしれない……)
「Tさん、家庭内暴力は、悪霊が影響してるんですよ。この『正心法語』を読むと、仏の光で悪霊が逃げていくから、毎日読むといいですよ」
私はその日から、いただいた根本経典 『仏説・正心法語』 ※を読み始めました。

※三帰誓願:仏に対して、仏・法・僧の三宝に帰依することを誓うこと。入信の儀式。
『仏説・正心法語』 :幸福の科学の根本経典。大切な7つの経文が収録されている。毎日読むことで、天上界と同通し、悪霊を遠ざけ、人生を切り拓く力がある。

自分の心を変える

「また昨日、お父さんに殴られたんだ」。私は何かあるたびに、支部長に訴えました。
「Tさんも大変だけど、まず旦那さんに感謝しねぇとね」
「だって支部長、借金されて殴られて感謝なんて……」
「そうやって責め続けるから、暴力が止まねんだ。まず、旦那さんのいいところを素直に見るように、Tさんの心を変えなくちゃ。それが、心の修行なんだよ」
(あぁ、そうだ。大川総裁のご本にも、そう書いてあった。だけど、どうしても恨みつらみが出てきて、感謝なんて……)
あるとき、支部の皆さんと、幸福の科学の那須精舎に参拝に行く機会がありました。山々に囲まれた那須精舎は、天国のように美しいところ。広い境内地を歩き、大ストゥーパのエル・カンターレ像※の前でお祈りをすると、夫への恨み心がスーッと消えていくような、不思議な感覚がありました。(なんだろう。こんな幸せな感じは、初めてだなぁ)。毎日毎日、こんな平和な気持ちで生きられたら、どんなにいいだろうと思いました。
「人間は、魂修行のために、人生の課題を設定して生まれてくる」と教わりました。私の課題は、夫との調和です。夫を許し、感謝できるようになりたいと、心底、思いました。

※エル・カンターレ像:地球の至高神であり、大宇宙の根本仏である主エル・カンターレを象徴する御本尊。幸福の科学の 支部 や、 精舎 に安置されている。

自分を変えたくて

支部に、 那須精舎 の館長さんが来られる日には、夫のことを相談して、ご指導を仰ぎました。
「Tさん、旦那さんが出かけるときには、玄関まで出て、『行ってらっしゃい』と言いなさい。そしてドアを閉めてからでいいから、『お父さん、今日もお仕事、ご苦労様です』と、感謝するんです」
思い切って、やってみました。「Aさん、行ってらっしゃい」。最初は、そんなセリフを言うのが苦しくて。でも、1度言えると、次はもっと楽に言えました。「やらなきゃ何も変わらない」と自分に言い聞かせ、感謝の言葉を口にするように努力しました。すると本当に、家の空気が穏やかになるのです。けれども、私が少しでも、夫を低く見るような態度をとると、またすぐに殴られました。
「良くなったと思ったら、また、殴られました」
「じゃあ、もっと優しい言葉をかけてごらんなさい」
三歩進んで二歩下がる、というふうに、夫との調和は一足飛びにはいきません。ただ、「私の不幸は夫のせいだ」と思い続けてきた私が、「自分の心を変えることで幸福になれる」という心の法則を信じ、実践し、少しずつ幸福感を感じられるようになったことは、何よりの奇跡でした。
一方、夫は、私が支部や精舎に行くと、「早く帰ってこい!」と怒ります。夫も信仰に目覚めてくれたらいいのに、と思う日々でした。

突然の宣告

そんな12月末のこと。夫は突然、心臓病で倒れました。
「心臓肥大です。奥さん、覚悟してください。これでは、年末までもつかどうか……」
突然の宣告に戸惑いながら、私は、夫を自宅に寝かせて、支部に向かいました。支部には、ちょうど館長さんがいらして、病気を治す修法『エル・カンターレ ヒーリング』※と、悪霊撃退の修法『エル・カンターレ ファイト』※のやり方を教えてくれました。
「家に帰って、この修法を旦那さんにやってあげなさい」
自宅に戻ると、夫は、胸を押さえて息もできないほど……。
「Aさん、とにかく、私と一緒にお祈りして!」
私は必死になって、仏に祈りました。「正心法語」と、「主への祈り」「守護・指導霊への祈り」「病気平癒祈願」「悪霊撃退の祈り」をあげ、夫に向けて、教わった修法を行いました。
(あとは、天におまかせしよう――)

※エル・カンターレ ヒーリング:『祈願文(1)』に収録されている「病気平癒祈願」で行う修法。
※エル・カンターレ ファイト:『祈願文(1)』に収録されている「悪霊撃退の祈り」で行う修法。

奇跡をいただいた

「Aさん、具合は?」
「あんなに苦しかったのに、Tがお祈りしたら、楽になったんだよ。よく眠れた」
主人は別人のように、すっきりした様子です。昨日まで、体を横にできないほど苦しんでいたのが嘘のようです。
「お父さん、良かったねぇ! 奇跡をいただいたね」
それ以来、夫は、「おい、お祈りしてくれ」と、私に頼むようになりました。お祈りの間、夫はじっと手を合わせ、何かを感じている様子――。そして数日後。夫が突然、三帰誓願をしたいと言ったので驚きました。支部長さんが、喜んで迎えてくれました。
「Aさん、あなたは、仏・法・僧の三宝に帰依しますか?」
「はい。私は、仏・法・僧の三宝に帰依することを誓います」
御本尊に信仰を誓う夫の姿は、まるで別人のよう。
「余命数日」と宣告されてから6日後。再び病院に行くと、担当医が首をかしげました。
「なんでこんな、急に良くなったんだか……」
私たちは、顔を見合わせて笑いました。

夢のような日々

それからの1年間は、夢のような日々でした。
「おーい、お祈りするぞー」
2人でのお祈りが日課になりました。夫がいちばん好きなお経は、『仏説・正心法語』のなかの5番目の、『解脱の言葉 仏説・八正道』です。

「冷静に 己れの 内を 見つめては 心の 実相 掴むなり
まず 煩悩の 炎を鎮め 執着の 思いを 除き はじむべし」
(『仏説・八正道』より)

「こういう心で生きることが、大事なんだなぁ……」。経文を読み返す夫の姿に、私も、自分の心を反省しました。
(私は被害者だと思っていたけど、私の我の強さが、夫の怒りを引き出していたんだ)

たまに口ゲンカをして、お祈りをしないと、夫は心臓が苦しくなりました。そこでお互いに反省して、お祈りをすると、心臓がスーッと楽になるのです。

信仰の力を実感する日々

そして毎月、那須精舎にお礼参りに行くことが、私たちの楽しみになりました。大ストゥーパのなかで目を閉じて、美しい瞑想曲に聴き入ります。
「俺はここが好きだ。ずっといたいくらいだ」
夫は音楽が大好きで、合唱の親善公演でヨーロッパに行ったときも、海外の有名な指揮者に絶賛されるほど、歌の才能に溢れた人でした。穏やかな心で向き合うと、忘れていた夫の長所や、魂の輝きが、たくさん見えてきます。
あるとき、夫がぽつりと、こんな言葉を言ってくれました。
「ねぇT。Tのいいところは、笑顔なんだよ」
思いがけない言葉に、夫の優しさが、伝わってきました。
(今まで悪人と決めつけて、責め続けて……。Aさん、ごめんなさい。これからは今までの分も、仲良く暮らそうね)

天国でまた会いたい

けれども、ともに信仰の道を歩み始めて、ちょうど1年になる1月。夫は再び、心臓疾患で入院してしまったのです。ICUに入っていた1週間、毎日、耳元で「正心法語」を読んであげると、夫は何度も「ありがとう、ありがとう」と言いました。そして、「気をつけて帰れ」と、気遣ってくれました。それが、最期の言葉でした。
夫のお葬式には、3つの合唱団が駆けつけ、それぞれにお別れの曲を歌って、別れを惜しんでくださいました。大好きな合唱で見送ってくれた皆さんに、夫の魂も、心から感謝していたと思います。
少しずつ遺品の整理をしていると、夫の、18歳のときの日記が出てきました。開いてみると、どのページにも、私の名前が書いてあります。
――Tが、今日も健やかであるように願う。
ページを埋める、几帳面な文字に、当時の思い出が鮮やかに甦って、涙がこぼれました。
(Aさんは、私のこと、こんなに大事に思っていてくれたんだ。ずっと、すれ違ってばかりだったけど……)
2人の40年間は、お互いを責め続けた、苦しい日々でした。けれども最後の1年は、過去の不幸が全部帳消しになるほど仲良く暮らし、限りない幸福感に満たされていました。
今世、信仰の喜びを魂に刻めたことが、私たちの人生の、1番の宝物だと思います。
人間の生命は、魂を磨くために、永遠の転生輪廻を繰り返しています。来世、2人が生まれ変わって出会うときは、もっと素敵な関係になっていますように……。そう願いつつ、これからの日々を、信仰とともに、大切に過ごしていきたいと思います。Aさん、天国で会える日を、楽しみにしています。

人生の苦難から「宝」を見つけるには 人生の苦難から「宝」を見つけるには

『生命の法』 (大川隆法 著/幸福の科学出版) より抜粋したメッセージ

人生の苦難は自分に与えられた問題集

人は、何度も何度も、何十回、何百回、あるいは、それ以上の回数の転生輪廻を繰り返している以上、そのあいだには、さまざまなパターンの人生があり、そのつど、さまざまな経験を積んでいるのです。その意味では、いま起きている苦難の原因は、今回の人生だけを見ても分からないことがあります。過去世で積み重ねてきたものまで見て初めて、「自分には、こんな人生勉強が残っていたのだ」と分かることがあるわけです。

一人ひとりの「人生の問題集」のなかには、「犯罪遭遇──22歳」「病気体験 ──44歳」など、今回の人生のなかで取り組まなければならない幾つかのテーマが入っています。たとえば、過去世において子供の問題で苦しんだ人は、今回の人生では、「子供がいないと、どうなるか」という経験をすることがあります。

したがって、人生の苦難に対しては、「苦しい、苦しい」と言うだけでなく、「これは自分に与えられた人生の問題集なのだ」と思う必要があります。数学や英語の問題を解くような気持ちで、「この問題は、やや難しいけれども、歯ごたえがあって、解くのが楽しい」「この問題を解くと、力がつくような気がする」などと思って取り組まなければなりません。

結局、このような考え方の根本は何かというと、「人間は生き通しの生命を生きているのだ。生き通しの生命なのだから、ほんとうは、死んでも死なないのだ。たとえ殺されたとしても、魂が死ぬわけではないし、病気になったとしても、魂が死ぬわけではないのだ。人生は一貫して続いているものなのだ」ということです。そのことを知っていただきたいのです。

夫婦関係を見直してみる

生命の法

そのような見方で人生を捉えていくと、人生について、まったく違った見方ができるようになります。たとえば、「夫婦仲が悪い」と思っている人が、そのような目で夫婦関係を見直してみると、どうなるでしょうか。「自分は、いつも妻と喧嘩をしているけれども、今回の人生の問題集として、ここに何かテーマがあるのかもしれない。過去世で夫婦として生きていたときの問題が残っていて、それを今世に持ち越しているのではないだろうか」というように、第三者の目で客観的に考えてみてください。

そして、「自分には、どのようなテーマが残っているのだろうか。もしかしたら、いつもいつも、転生のたびに同じことをしているのかもしれない。それならば、今世のうちに、この問題を解き切ったほうがよいのではないか。もし、自分にとって、そういう問題集が必要なのであれば、今世で何とか解決してみよう」などと考えていただきたいのです。

どのような苦難・困難があっても、「それは自分自身の経験になるのだ」と考え、その問題と闘うことによって、よき経験を身につけ、今回の人生を意味のあるものとしていただきたいと思います。

(経典『生命の法』より)

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