まだ、三途の川は渡れない!神秘体験を通して再確認した、自分の使命
(最終更新: )
ある夜突然、狭心症で倒れてしまったYさん。生死をさまよっている間、「あの世の世界を見る」という不思議な体験をします。神秘体験を通して、つかんだものとは―。
(Y・Aさん・群馬県・71歳・タクシー運転手)
月刊「幸福の科学」392号より転載・編集
まだ、三途の川は渡れない!
自宅で倒れ、救急車で搬送
今年の3月7日のことです。6時ごろに帰宅し、夕食をとろうと箸を持った途端、なぜか急に食欲がなくなりました。
(おかしいな……。少し休もうか)
そのあたりから意識が朦朧(もうろう)とし始め、記憶は途切れ途切れしかありません。女房によると私は、少し横になった後に身体を起こし、トイレまで歩いて行き、そこで倒れてしまったらしいのです。女房は驚き、すぐに救急車を呼んだそうです。
気づいたとき、私は救急車の中にいて、大声で呼びかける救急隊員の声がぼんやりと聞こえてきました。
「Yさん! 大丈夫ですか!」
また、こんな会話も聞こえてきました。
「意識が戻らなかったら、まずいな……」
(ああ、俺はどうなるんだろう……)
そしてまた、意識が遠のいていったのです。
目の前に現れた、あの世の世界
ふと気づくと、周りの景色が一変し、見たことのない世界にいました。私は、雲の上にいるように空中にフワフワと浮かび、大きな川を見下ろしていたのです。
(……もしかしてここは、「あの世の世界」なんだろうか? )
私は、四十代のころから約30年、幸福の科学で学んでいたので、「人は死後、あの世に還る」という真実を知っていました。
(おお、俺が見ているこの川は、きっと「三途の川」だろうな)
私が見下ろしている川は透明で、川底には大きな黒い金庫が、扉が開いたまま沈んでいました。中には、お金や株券、土地の権利証などがあり、川の中にこぼれ出しています。
(幸福の科学で学んだ通りだ…)
幸福の科学の教えには、この世からあの世に移行するときに見る景色を説明したものがあります(※1)。「三途の川には、先に渡った人たちが執着を持っていたものが沈んでいる」と学んでいましたが、本当にその通りの景色が現れていたので、驚きました。
※1 : 『永遠の生命の世界』 『悟りに到る道』 (ともに大川隆法 著 幸福の科学出版刊)等参照。
三途の川を渡ってみよう
川の向こう側に目を凝らすと、霧がかかっていてよく見えません。
(よし、あちら側へ行ってみよう)
そう思うと、空中に浮かんでいる身体が自然と動き、移動し始めました。そして、広い川幅を半分ほど渡ったとき、後ろのほうから誰かの声が聞こえてきたのです。
「おーい! おーい!」
振り返ると、岸辺に大勢の人影が見えます。百人以上の人々が、一生懸命に手を振りながら私に呼びかけているようです。
よく見るとそれは、女房や、幸福の科学でともに活動している仲間たちでした。
(えっ、みんな! どうして……)
「戻れ! 戻ってこーい! 」
みんなの声は、まるで大合唱のように響いてきます。
「おいおいおい、死ぬのはまだ早いよ! 」
仲間の一人はそう叫んでいました。
「いやあ、俺ももう年だし、そろそろいいかなぁと思うけど…」
私はそう答え、仲間のもとへ戻るか、戻るまいか、迷っていました。
(このまま死んだら、楽になって良いんじゃないか―)
そんなことを思いながら、川の上でふらふらしていたのです。
三途の川を渡るとき
(三途の川の)途中で、後ろから、「お父さん、まだ早いよ」「逝くなよ」などという、生きている家族の声が聞こえてくることがあります。(中略)
そういう後ろからの声が聞こえて、振り向いた場合には、だいたい戻ってくるのです。(中略)
川を渡りきってしまうと、だいたい、もう帰ってこられないわけです。
(経典『永遠の生命の世界』より)
私を目覚めさせたのは…
しかし、そこで私の心に浮かんだのは、日本を再生させるために大川隆法総裁が創立された幸福実現党と、釈量子党首の顔でした。
(ハッ、そうだ。みんな、人々の幸せのために戦ってるんだ―)
私は、以前から幸福実現党の活動を行っていて、選挙に立候補させていただいたこともあります。しかし、未だ国政に議員を送ることはできていません。
(俺はまだ、死ぬ訳にはいかない)
自分には、まだやり残した「使命」がある、と再確認した瞬間―。
「Yさん! Yさん!」
医師が一生懸命に私の名前を呼んでいます。私は集中治療室のベッドの上にいました。
神仏のご加護で、無事退院
医師から言われた病名は、「狭心症」でした。心臓の動脈が狭くなり、心筋が酸素不足に陥る病気です。心臓の血管を広げるために、カテーテル治療を行うことになりました。
(まさか俺が倒れるなんて……)
幸福の科学では、「病気の約七割は心に原因がある」と説かれています。私は狭心症になったことについて、自分の考えに間違いがないか、心を見つめて反省しました。
そこで気づいたのは、「健康への驕(おご)り」や「慢心」があったことです。
倒れる前の私は、周りから「いつも元気だね」と言われ、自分の健康を過信していました。そのため、高血圧にも関わらず、夜中に油ものや甘いものを買ってきて食べていたのです。しかも、私の身体を心配する女房の言葉に耳を傾けることはありませんでした。さらに、根拠もなく「自分だけは大丈夫」と思い、ダブルワークで無理をしていました。
(未熟な自分をどうにかしたい……。これからは、不摂生な生活を改めよう)
5時間に及ぶカテーテル治療は、女房が『強力・病気平癒祈願』(※2)を受けてくれたおかげもあり、無事に成功。私は、3週間の入院を経て退院できたのです。
※2 全国の幸福の科学の精舎で開催されている、イエス・キリスト特別霊指導の祈願。病気の根源になっている心の葛藤や、過去世からの業、罪の思いが消えていき、癒しの御光を賜ります。
残りの人生を、この活動に
退院後は、体調に気をつけながら、タクシー運転手の仕事を始め、幸福実現党の応援や、地域のお宅を訪問して教えをお伝えする活動をしています。
地域の皆さまとふれあうなかで、大川総裁の教えを学ばれる方や、映画を楽しみにしてくださる方も増えました。映画「世界から希望が消えたなら。」も、お勧めしていきます。
また、私が応援している幸福実現党は、北朝鮮や中国の〝危険性”をいち早く見抜き、国政に影響を与えてきた政党です。他党が人気取りに傾いても、国民の幸福のために、正々堂々と神仏の御心を伝えてブレません。
(日本には、幸福実現党が絶対に必要だ)
再び生命をいただいた今、この活動のために、残りの人生を捧げたいと思っています。
「今日の一日で、何ができるか」
神秘体験を通して、私は以前より一日一日を大切にするようになりました。一日長生きできれば、ユートピア活動を一つ進めることができますから、「今日一日、何ができるだろう」と考えて行動しています。
実は私は、東京都庁に務めていた20代から40代のころ、共産党員でした。神仏の御心に反する活動をしてしまったので、償いのためにも、幸福の科学の仏法真理を弘めて、幸せな人を増やしていきたいのです。今やっと、支部の皆さんに遅れを取りながら、修行のスタート地点に立てたのではないかと思っています。