臨死体験が私に教えてくれたこと。「生きてるんじゃない、生かされてるんだよ」

(最終更新:

写真家として活動するMさんは、中学生のとき、交通事故で26日間意識不明の重体に。そしてその間、臨死りんし体験をしました。奇跡的に目を覚ましましたが、PTSDや記憶障害など様々な苦難が待ち受けていたのです。そんなMさんの心を支えたのは、臨死体験を通してつかんだ仏法真理ぶっぽうしんりでした。

M.Mさん(28歳・山口県・フォトアーティスト)

隔月刊「ザ・伝道」235号より転載・編集

臨死体験が私に教えてくれたこと。―生きてるんじゃない、生かされてるんだよ 臨死体験が私に教えてくれたこと。―生きてるんじゃない、生かされてるんだよ

「もし意識が戻ったとしても植物状態になります」

2004年3月16日。当時、中学1年生だった私は、いつもと同じ時間に起きて、いつものように重い通学カバンを背負い、そしていつものように学校に向かいました。

「お母さん、いってきまーす!」

普段どおりの朝。この後、自分の人生がまったく別物になってしまうことなど、到底、想像つかないことでした。

通学路を一人で歩き、道を横断おうだんしようとしたその時、もうスピードで走ってきた車に跳はねられたのです。身体は宙に浮き、10メートルほど遠くに飛ばされました。

頭を強く打ち、私はそこで意識を失いました。

「Mさんのお母さん、落ち着いて聞いてください―」

担任の先生から家に電話が入り、事故の知らせを聞いた父と母は、私を乗せた救急車を追うように車を走らせました。車内で母は、「M!M!」と、私の名前を、天に祈るような気持ちで呼び続けていたそうです。

幸い、コンクリートではなく、道路脇の植え込みに落下したため一命をとりとめました。重い通学カバンもクッションになっていたようです。しかし、両親は医師から「この2、3日が山場です。もし目を覚さますことができても、植物状態になります」と宣告を受けたと聞きました。

とうの私はというと、とても不思議な体験をしていました。

意識不明の26日間で見た世界

ふと気がつくと、私は長い椅子いす仰向あおむけにていました。

(ここは・・・どこ?)

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必死に身体を動かそうとしてもびくともせず、私はパニックになりました。どうやら自分は電車のような乗り物に乗っていることが分かりました。近くに人影ひとかげを感じます。

(電車なら、窓があるはず。どこにいるのか、景色を見ればわかるかもしれない)

目だけ動かすことができたので、私はきょろきょろしました。そして窓を見つけて外を見ると、山が連なる田舎いなかの風景が広がっています。その景色はどこまで行っても変わりません。

そのまま何日も、何日も、ったような気がしました。私の不安はつのるばかり。苦しくて逃げ出したい気持ちでいっぱいになりました。

そして、あるとき突然、目の前の景色がぱっと変わったのです。私は、広い花畑に立っていました。周りには、5歳くらいの子どもがたくさんいて、皆で遊んでいます。

「私も、仲間にいれて!」

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私は子どもたちに混ざって、楽しい時間を過ごしました。あるとき、「神様のようなおじいさん」が現れました。子どもたちはおじいさんの前に列を作り、一人ひとり、"天使の輪"のような花かんむりを受け取っています。「私も欲しい」と思って列に並びました。ところが、いよいよ「次は私の番」というときに、また突然、景色が変わったのです。

次の瞬間、私は空中くうちゅうに浮かんでいました。眼下がんかには、大きな川が見えます。あたりには、何十人も人がいることがわかりました。船を使ってその川を渡る人、橋の上を歩く人、川を渡ろうと水のなかでもがく人・・・。

(この川って、もしかして!)

そのとき、どこからか「そうです。これが三途さんずの川ですよ」と、声が聞こえたような気がしました。今思うと「目に見えない何か」が、この不思議な世界を案内してくれていたように感じます。両親とも幸福の科学の会員の家庭で育ったため、私も物心ついたときから、「あの世」の様子は、教えてもらっていました。

(やっぱり、本当だったんだ)

そんなことを思っていると、また急に景色が変わりました。次は、幸福の科学の支部のような建物の中でした。そこには、昔、幸福の科学でお世話になった、なつかしい人たちが、皆でおしゃべりを楽しんでいたのです。

「皆さん、ここにいたんですか」

「そうよ、Mちゃん元気だった?」

幸福の科学では、「あの世には、生前、信仰していた宗教ごとに霊界れいかいがある」と聞いていたので、ここは「霊界にある幸福の科学の支部」なのだと思いました。そこはとても温かい雰囲気の場所で、心からいやされました。

(ずっと、ここにいたいな・・・)

そう思った瞬間、また場面が変わりました。今度は、病室でした。

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(あ、私がいる・・・)

ベットに横たわる自分の身体と、その横で、必死に看病かんびょうする、お母さんらしき女性を上から見ていました。病院の廊下ろうか診察室しんさつしつも見て回りましたが、誰も私の存在に気づきません。そして、あるとき、また急に場面が変わりました。

次に目に映ったものは、病室の天井でした。

一枚の写真が起こした「奇跡」

「Mちゃんの意識が戻った!」

たくさんの顔が私をのぞき込んできます。皆、大騒ぎをしていました。カレンダーは4月11日。事故から26日が経っていました。しかし、私自身は何が起きているのか分からず、ただ「きょとん」としていました。

私のことをずっと横で見守ってくれていた女性が親しげに話しかけてくれましたが、すぐには誰なのか分かりません。でも、「この人のことを知っている」気がします。

「お母さん・・・?」

「そうだよ、M。お母さんだよ」

私は、記憶障害を起こしていたのです。家族の顔や名前もうっすらとしか分からず、「・・・かもしれない」が口癖になりました。さらに、私は、事故にあう前に自分が歩んできた、「人生の記憶」が、ほとんど無くなっていました。ただ、不思議なことに、「あの世があること」など、幸福の科学で学んだことはよく覚えていました。

これは後から聞いた話ですが、家族や幸福の科学の方々が、私の意識が戻ることを神仏にずっと祈り続け、「強力・病気平癒へいゆ祈願」も受けてくれていたそうです。皆さんの愛の思いが天に通じて、「奇跡」をいただけたのかもしれません。医師の"不幸の予言"に反して、植物状態になることもありませんでした。

しかし、私にとっては、ここからが苦悩の始まりでした。医師から、「あなたは高次こうじのう機能きのう障害しょうがいです」とげられたのです。障害の影響で感情のコントロールが難しいため、精神安定剤など、1日に大量の薬を飲むことを余儀よぎなくされました。毎日、何人もお見舞いに来てくれたのですが、私は一晩寝ると前日の記憶が消えてしまいました。自分でもわけがわからず、毎日泣きました。そんな私に、母が1枚の写真を見せてくれたのです。

「M、この写真見てみて。この前、お友達とった写真よ」

そこには、お見舞いに来てくれた友人と私が笑顔で写っています。

「私、このときのこと覚えてる・・・!」

電気が走ったような衝撃を受けました。意識を取り戻してからというもの、自分には「過去」という概念がいねんがありませんでした。でも、写真を見たことをきっかけに、私は、「過去の記憶」を手繰たぐり寄せられるようになったのです。それからというもの、記憶をおぎなうために、写真を撮とることが日課になりました。

また、母から聞いた話によると、ある日、家族と病室で過ごしていた私は、急に、「この事故は宿命しゅくめいだった」と男性のような野太い声で話し始めたそうです。「宿命」という言葉の意味が分からなかった私は、後日、母に質問をしました。すると、「生まれる前に決めてきた自分の運命よ」と教えてくれたのです。

幸福の科学では、人はこの世とあの世を何度も生まれ変わっていて、自分のたましいを磨くために、人生で乗り越えるべき課題を決めてくると教えてもらっています。私が事故にあったことも、自分にとって必要な「宿命」だったのかもしれないと思いました。

体調が落ち着いてくると、足のリハビリや、院内学級で「あいうえお」から学習のし直しが始まりました。どれも楽なものではありませんでしたが、ほんの少しでもできることが増えると、家族や医師が喜んでくれます。私は、それがただうれしくて、毎日、頑張りました。

PTSDに苦悩する日々

私の身体は、奇跡的なスピードで回復しました。「今まで通り、学校に通うことは難しい」と言われていたのに、わずか3カ月で退院し、中学に復学できたのです。しかし、クラスメイトの名前が思い出せないことがあったり、「前のMちゃんと違う」と言われたり、しまいには、先生から「クラスの皆が、Mさんとどう接したら良いのか分からなくて、戸惑とまどっている」と言われてしまいました。

ショックでした。自分でもどうしたら良いか、分かりませんでした。

それでも、無理をしてなんとか、皆と一緒に中学を卒業し、私立高校に入れたものの、「誰も私のことを理解してくれない」という孤独が亡霊のようについてまわり、PTSD(※)も発症して、高校に行けなくなりました。

「死にたい」と思って、夜に家を飛び出しては町を叫びながら走り、両親に捜索される日々。事故にあってからずっと家族に迷惑をかけていることも感じるので、「私に関わるとみんな不幸になる」と自分のことを責めました。

そんな私の居場所は、幸福の科学の支部でした。礼拝室れいはいしつに入ると、荒れていた心が落ち着きます。そして私は、よく大川総裁の著書『太陽の法 』を開きました。

「人生には、夢が必要です。夢のない人生には、希望がありません。自らのつくった悪を反省し、善念ぜんねんを取り戻すことは、もちろん重要です。しかし、あなたがたの人生とは、マイナスをゼロにするだけの、プラス・マイナス・ゼロ人生だけではものたりないのではないでしょうか」

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『太陽の法』に記された言葉の数々は、どれも絶望しかけている私を励ましてくれました。また、大川総裁は、さまざまな著書で「霊界」や「臨死体験」について解き明かしていました。

(私が意識不明だった26日間で経験したのは、やっぱり臨死体験だったんだ―)

この頃から、私は霊界で見てきたことを、思い出したように家族に話すようになりました。多くの支えのおかげで、私はその後、通信制の高校・大学に入れました。

父親がグラフィックデザイナーだった影響で、大学では空間芸術を学び、大学の講義のなかでカメラもさわるようになったのです。

※PTSD ・・・ 地震・交通事故・監禁などで強いストレスを受けたあとに起きる精神障害。

「Mなら大丈夫」

転機が訪れたのは、2010年のこと。

(私は幸福の科学で、「心のあるじになれ」という教えを学んでいるのに、いつまでも精神安定剤に頼っている。もうこんな自分は嫌だ)

そう思って、薬断ちを決めました。しかし、気持ちはどうしても揺れます。私はとりあえず、身体を動かして苦しさを耐えました。そんな私を見て、母が声をかけてくれました。

「霊界を見せてもらったMには、大きな使命があるんだよ。絶対、大丈夫だから」

私が事故にあって意識不明になったとき、私の回復を信じ、祈ってくれた両親は、今は私の可能性を信じてくれている―。

「信じる」という行為が、どれほど人を幸せにし、強くするパワーを持っているのか・・・。

(お母さん、ありがとう)

私は信仰深い両親から「心の力」を学びました。思えば、あの臨死体験があったからこそ、私は信仰をつかむことができました。そして、その信仰のおかげで、私は今までどんなにつらくても生き抜いてこれたのです。

私は、毎日、大川総裁の書籍を読み、お祈りなど宗教修行を続け、幸福の科学でのボランティア活動にも積極的に参加するようにしました。そうやって日々を積み重ねるうちに、薬も要らなくなり、PTSDも克服しました。

世界は神様の光で満ちている

私は大学で学んだ後、商業カメラマンとして会社に勤めながら、フォトアーティストとして活動を始めました。いまだに記憶力には自信がありませんが、大事故にあったとは思えないほど回復し、一人暮らしもしています。今は絵描きでもある父と個展を開いたり、地域で「写真を通して人生を豊かにする講座」を開催したり、さまざまなことに挑戦中です。

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Mさんの作品。

私は、臨死体験を経験して、「霊界は間違いなく存在する」ということを確信しました。命あることも当たり前ではなく、自分は目に見えない偉大な力に生かされている存在だと感じるようになりました。それは、私だけではなく、木々や、そよ風、川を流れる水も同じです。

私にとって写真を撮ることは、神様が創られた生命たちとの「共同作業」。この世界の美しさをカメラで写し、そして、「神様はいるんだよ」ということを伝えていきたいです。

私には、「芸術を通して病の人をいやしたい」という夢があります。

このことに気づけたのも、あの事故と臨死体験があったから。今まで、多くの方に支えられてきました。今後は、世の中にお返しをしていきたいです。


山口県の幸福の科学青年部リーダーを務めるMさん。(左端)
「自殺防止活動」など、さまざまな活動に取り組んでいる。

天真爛漫な母・Yさん、温和な父・Hさんと地元の公園にて。

10年前のMちゃんとは別人です!

私は10年前から、Mさんと幸福の科学の活動に参加しています。昔は心境が不安定な事もあったようですが、今では人望を集める皆のリーダーです!

T.Aさん(山口県・30代・介護福祉士)

<The体験 解説>あの世を信じると生き方が変わる!天国を見てきました

臨死体験をしたMさんのように、「人は死んだら終わりではない。来世がある」と知ることで、人生観が変わります。

ここでは、その理由を紹介。

人生のとらえ方が前向きになる

私達は、生まれる前に霊界で、「今世の人生計画や使命」を決めてきます。人生の途上では、病気や人間関係の不調和など、さまざまな問題に直面することがありますが、そうした苦しみも、自分の魂を磨く砥石として、自分で設定してきています。その視点に立つと、人生に無駄むだはなく、すべてが自分のかてになっていきます。

天国に還ることができるよう、心を磨くようになる

あの世では、心の状態によって住む世界が分けられます。正直で誠実な、優しい心の持ち主は天国に行くことができますが、人をだましたり自己中心的に生きた人は地獄に行くことに。死んでから後悔しないために、生きているうちに天国に通じる「良い心」を持つことが大切です。

女性誌「アー・ユー・ハッピー?」では、本記事で紹介したMさんの奇跡体験を医学的視点からも解説!

Mさんと、娘の回復を信じ、祈り続けたご両親にインタビューした記事が、女性誌「アー・ユー・ハッピー?」に掲載!また、奇跡の復活を遂げたMさんの体験を、医師が検証しています。併せてご覧ください。

女性誌「アー・ユー・ハッピー?」 10月号 特集:「奇跡は起きる!病気を治す心の力」
2019年8月30日発売

希望のことば 希望のことば

あの世を信じると生き方が変わる
「霊界はある。人間は、あの世からこの世に生まれてきて、数十年の人生を送り、やがて、あの世にかえる」という思想を受け入れるならば、「この世はたましいにとっての学校である。この世で経験することは、すべて、教育として許されていることなのだ」と捉えることもできるでしょう。

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幸福の科学では悩み解決や人生の好転をサポートしています。悩みや相談ごとのある方はぜひ支部にお越しください。幸福の科学で修行を積んだ実績ある支部長・講師がお話をうかがいます。プライベート・秘密はお守りしますので、安心してお話しください。

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